ヤァヤァズ。この不良中年団こそが、文化の発信元だった
かつて、銭湯の二階にそのオーナー自らが作ったライブスポットがあった。『ゆ場中山道』といった。音楽とはリスナーとプレーヤーとの【音】を介したオシャベリ。ステージの中と外のプレーヤーの共同作業。一期一会のパフォーマンスなのだ。唯一ライブだけが「音楽」なのであり、録音されたレコードだのCDだのは、「音楽のようなもの」に過ぎない。【ゆ場中山道】は普段着の【音の井戸端会議場】【楽しい仲間が集まる居間】「俺は、老若男女すべてに音楽を届けたいんだ。だから銭湯にライブハウスを作ったんだ」
そう公言した野島オーナー自らがドラムを叩き、染太郎の影山社長がリードギター兼ヴォーカルを担当。ビートルズ以上にビートルズを奏でると言われたバンドをヤァヤァズといった。ライブを開くと満席。NHKから取材がくることもあった。
このライブハウス『ゆ場中山道MSP』から、昭和歌謡を演奏するバンド『オーケーズ』が生まれた。2006年9月30日、惜しまれつつゆ場中山道は閉店したが、そこで夜な夜な集っていた面々は今でも各々の場所で活躍している。オーケーズのメンバーたちは『ショッキングヴィーナス』と名を変えて時々ライブを行なっている。
Get back to where you once belonged, YAHYAHS
2/6 ヤァヤァズの復活ライブが行われた。新生ヤァヤァズはベースに新妻氏に代わって、ルー氏が加入してのスタート。MSPに「ビートルズが聞きたい」というリスナーの声が多いこと、ヤァヤァズのライブの問い合わせが活動停止して半年以上経っても、なくならないこと、そしてWINKからの要望ということもあっての復活となった。
この復活がメンバーにかなりの負担とプレッシャーを与えたことは想像に難くない。それは、幕間にひっそりと、カウンター奥で練習するルー氏の背中に現れていたし、「オーケーズの10倍忙しい」という、そめたろう氏の言葉にも表れていた。
それでも。
ヤァヤァズはなくなってはいけないバンドだと筆者は思うのだ。 イギリスではもはや、ビートルズの楽曲は「クラシック」になったとさえいわれる。日本でも、もっともポピュラーであり、かつ、「カッコイイ」楽曲なのは誰もが認めるだろう。最初の1音で全ての人をリスナーに引き込んでしまうインパクトの強さをもっているのは何といってもこれらの曲が一番。
ヤァヤァズはその意味で、ゆ場MSPの親しみ安さと、カッコよさ、不良っぽさといったものを全て体現してきたし、そうあるべきだと思う。いわば、ゆ場MSP=俺たちのダンディズムの象徴であるべきだと思うからだ。(2005/2/6 MAN・ゆ場MSPサイトより再録)